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日々のモノ・コト

今年も島根に行ってきました。その2

その1からの続き

島根旅2日目。21日の朝9時に県の職員の方や私以外の東京から招待されたバイヤーさん達と出雲市駅で合流して、さっそく最初の目的地である『大社の祝凧』を作っておられる高橋日出美さんの作業場兼ご自宅へ向かいました。

この日以降は県の公用車で各地を回る事になっており、自分で運転しなくていいので楽チンでした。メンバーは県の職員の方。今回の企画の仲介でお声掛け下さった、いつもお世話になっているデザイナーの方。私と同じく東京から招待されたバイヤーで、通販雑誌の工芸寄りの品物を担当されている方と工芸品をデザインプロダクトとして再編集した自社商品を開発しながら直営店も運営されている会社のバイヤー。そして私も含めた7名で、移動中の車内では早速名刺交換が始まりました。

出雲大社の大鳥居からも徒歩で5分もかからないほどの近くに髙橋さんの作業場はあります。出雲大社の背後には鶴山・亀山という山があり、それぞれの麓には千家・北島という国造家があります。両家に祝い事があると氏子が国引き伝説で知られる稲佐の浜でそれぞれ『鶴』と『亀』の文字を書いた凧を揚げて祝った。というのが『大社の祝凧』のいわれです。昔はタタミ一畳ほどもある大凧を揚げていたそうですが、今では凧揚げの風習は残っておらず、郷土玩具として小型化したモノを縁起物として後世に伝えているそうです。

髙橋さんで三代目となる大社の祝凧作りですが、元々は『じょうき』や『鯛車』を作っていた初代が明治の頃に衰退した祝凧を復元したのが始まりで、今では出雲に残る古い文字凧や絵凧などの復元も手掛けます。『じょうき・鯛車』とは江戸時代から全国で盛んになった精霊流しを、適当な川が無かった大社地方では竹ひごで作った型枠に紙を貼った鯛や屋形船にコマを付けて子供たちが曳いて歩いた夏の風物で、今でもその風習は受け継がれています。MARKUSでも縁起物として年末に向けて祝凧のお取扱いを検討したいと思います。

髙橋さんの作業場をあとにした私たち一行は、時間の都合で出雲大社に参拝するか出雲民藝館に行くか。という選択を迫られ迷わず出雲民藝館を選びました。出雲民藝館は民芸の趣旨に感銘を受けた出雲地方きっての豪農だった山本家の寄付や出雲民藝協会、県内外の協力者からの援助を受けて山本家の邸宅の一部を改修し展示館として使用しています。今回の旅行記のその1とその2のトップの画像は出雲民藝館の外観なのですが、その2の建物は母屋としてまだ山本家の方がお住まいになっておられます。

中の展示物はもちろんのこと建物自体も圧巻の迫力で、先人たちの暮らしに根差した技の数々をじっくりと時間をかけて目に焼き付けました。受付脇には売店も併設されており、伝統を引き継いだ現代の作り手たちの品物もたくさん並んでいました。MARKUSでもお付き合いのある作り手の品物も品物もたくさんあり、自分のお店で見る時とはまた違う表情に、新しい魅力を再発見しました。また、ココに来る直前にお邪魔した祝凧の古いモノも展示されており、ちょっと嬉しくなりました。

事務局の方が色々とご対応下さって話し込んでいる内に、出雲民藝館には全国から作り手が集まる事から、かなり共通の知り合いが多いことが発覚し、『この前は誰々が来た』といった噂話から民藝あるある話まで、思わぬところで身近な人たちのお話で盛り上がってしまいました。そして楽しいおしゃべりもそこそこに出雲民藝館を出発した一行は一気に西へ向かいます。途中にある海沿いの道の駅で初日に食べ損ねた出雲そばと、この辺りの海の幸を詰め込んだ海鮮丼のセットを平らげ、睡魔と闘いながら再び西へ向かいました。

出雲から昼食を挟んで約1時間で、大田市温泉津にある森山窯さんに到着しました。森山窯さんは今回の旅で絶対行きたかった場所のひとつ。昨年の島根旅ではアポ取りの段階で『ちょっと忙しくて…。』という事でお伺いできなかったのですが、今回は何とか訪問が叶いました。森山さんはまもなく80歳を迎えるご高齢で、河井寛次郎の直径の弟子として教えを受け1971年に同じく河井寛次郎に教えを受けた荒尾寛氏の椿窯内に自身の工房を構えました。全国の愛好家だけでなく陶工からも愛され尊敬される作り手の一人です。

これまでの何度かの森山さんとのやり取りの中で、現状で、森山さんにはとても新規のお取り引きをしていただけるような余裕も無く、以前も懇願するように注文によるお取引をお断りされている為、今回はその辺のお話は一切せず、ただの見学者となってお邪魔しました。陽の光が差し込む静かな工房で、一心にロクロに向き合う森山さんの姿は見ていて飽きません。森山窯のうつわは呉須釉と瑠璃釉が主力。その独特な柔らかな色あいと確かな技術から生み出されるうつわに心動かされ、自宅用にいくつか購入して帰りました。

森山窯さんの後にお隣の椿窯さんにも立ち寄り、次に向かった先は昨年もお邪魔した江津市の『石州 嶋田窯』さん。昨年お願いした傘立てがまだ未納品なので、やんわり催促したところ『おぉ、去年のまだだったか?』と、相変わらずの憎めないとぼけっぷりでお茶を濁そうとするのでキッチリ念押ししてきました。ここでは昨年は見かけなかった若い職人が働いており、息子さんも一緒に働いてましたので、今どこの作り手のところでも直面していた後継者問題は、ひとまずしばらくは大丈夫かな。と、少し安心して2日目を終えました。

2日目の夜は浜田駅前にあるホテルにチェックインし、懇親会と称して夜遅くまで飲みました。普段から単独行動の多い個人事業主の私は若干の人見知りではありますが、今日初めて会ったばかりとは思えないほどの同行メンバーとの打ち解けっぷりにテンションが上がり、全員ほぼ同世代という事もあり楽しくなって少々深酒をしてしまいました。ですが翌日はスッキリ目覚めて最終日の最初の目的地、浜田市内にある神楽面と長浜人形を制作する『日下 義明 商店』へ向かいました。

島根の伝統工芸品・長浜人形の職人だった、日下(ひのした)義明さんが独立して日下義明商店を創業し、神楽面も手がけるようになりました。長浜人形は、江戸中期から浜田市長浜町で生産されてきた土人形で、色彩のきらびやかさとともに温かみと気品あふれる表情が人気でした。明治時代にこの長浜人形や和傘制作の伝統技術が土台となって石見神楽面が誕生しました。石見神楽は島根県西部の石見地方に古くから伝わる伝統芸能で、廃れていく伝統芸能が多い中、石見神楽は今なおこの地にしっかりと根付いています。

日下さんの後は石州和紙会館にお邪魔して、石州和紙の歴史から原材料の加工や製造工程を実演を交えながら見せていただきました。とても面白い内容だったのですが、じっくり見入ってしまいすっかり写真を撮るのを忘れてしまいました。スミマセン。来年のゴールデンウイークにMARKUSで開催する企画展の3人のうちの一人が出雲民藝紙の手漉き職人さんなのですが、基本的な部分では同じなのでしっかり勉強させていただいて石州和紙会館を後にしました。

石州和紙会館の後に昼食を挟んで、次に向かったのはこの日の最初にお邪魔した日下さんと同じく浜田市内で『福美』の銘で長浜人形を制作している『渡辺 真奈美』さんの工房兼ご自宅です。私の事前調べでは福美さんは長浜人形の伝統的な技法に則りながらも、お目々パッチリの可愛らしい雑貨的な招き猫を制作されていて『ちょっとMARKUSには縁は無いかな。』と思っていたのですが、実際にお邪魔してみるとネット上での印象とは全く違い、漠然とですが『あ、この人ホンモノだ。大変失礼しました。』と思いました。

渡辺さんは横浜市生まれで多摩美術大日本画科を卒業後、キャラクターグッズの製造販売会社でデザインの仕事や舞台美術の仕事に就くも、1999年にご出産を機にご主人の実家がある浜田市に家族で移住しました。神楽面作りの教室が開かれていた公民館に出かけ、神楽面師・長浜人形師の安東三郎氏に出会います。安東氏は80歳を超え60年以上も長浜人形を作り続け、今なお現役で活動しています。担い手がいなくなる中、その安東氏から『やってみんか?』と誘われて渡辺さんは長浜人形制作の道に入りました。

昔ながらの人形作りにこだわる安東氏の教えを受けた渡辺さんも材料や技法には徹底的にこだわり、石州瓦の産地・江津市の粘土を石膏の元型に入れ、乾かして素焼き。貝殻の胡粉を塗って泥絵の具で着色する。絵の具に混ぜる膠まで自ら溶かし、1工程にかかるのは約2週間。安東氏の所有する型を使い昔の長浜人形を復元させた作品をいくつか見せて頂いて、その迫力や色彩の美しさに圧倒されました。口には出しませんでしたが、きっと伝統的な長浜人形作りを維持するために可愛い招き猫を作っているんだな。と思いました。

渡辺さんのご自宅を出発して最後の目的地が益田市の商工会議所です。ここでは地元の企業の方が作られている品物を見せていただいて意見交換する。という場でした。その後石見空港に向かう途中で地元のスーパーに立ち寄り、地元企業や他県にはあまり馴染みのないローカル食材のリサーチをして石見空港に到着しました。空港で2日間お世話になった県の職員の方やもう1日滞在するデザイナーの方に別れを告げ、出発ロビーで東京に帰るバイヤー同志、ビールで乾杯して飛行機に乗り込み2泊3日の島根旅の幕を閉じました。

上の地図にある赤い線は今回の島根旅の総移動ルートです。初日は米子空港から始まり出雲からまた宍道湖をぐるっと1周し、2日目以降は西へ西へと、最終的には島根県を東から西へ海岸沿いにほぼ横断した形になります。かなりハードな旅ではありましたが新しい発見や出会い、有難いお話などこの先につながる多くの収穫があった旅となりました。この旅での収穫をこれから少しづつ形にして皆さんにご紹介していければと思っております。

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